礼拝説教 2006年12月24日

2006年12月24日 「羊飼いたちにクリスマスが」
イザヤ書 61:1~4  ルカによる福音書 2:8~20
古屋 治雄牧師
 ろうそくに4本の明かりが灯されて、この年のクリスマスを私たちは教会にて迎えることができました。この2006年、私たち一人一人のために、私たちが属します家庭に、地域社会に、何よりも私たちのこの教会に、神様は新たに御子イエスキリストをお与えくださいました。
 クリスマスの喜び、クリスマスの恵みの中身はいったいどういうことであるのか?クリスマスの喜びを言葉でいい表しますと、どういうことになるのか?ルカ福音書を私たちみ言葉として与えられてきておりました。クリスマスの出来事の中に直接登場してきた、一人一人は、抽象的な事ではなく、何かそういう雰囲気を教えられてというのでもなく、はっきりとクリスマスの恵みを言葉で聞くことができました。
「主はその民を訪れて解放し、我らのために救いの角を、僕ダビデの家から起こされた。主の民に罪の赦しによる救いを知らせるからである。暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、我らの歩みを平和の道に導く。」あのザカリアはこういう言葉をもってしてクリスマスの恵みをはっきりと聞くことができました。
 またマリアは、「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。」という天使の声をクリスマスの恵みとして聞くことができました。
 そして、これらの恵みの内容は当事者たちだけでなく、2006年のクリスマスに招かれている私たち一人一人に同じように呼びかけられ、語りかけられているのです。クリスマスの出来事は力を持っています。私たちに呼びかける力を持っています。そして、呼びかけられた一人一人にはその力によって新しい生き方を始めることができるのです。
 今日私たちは特にそのような中で、羊飼いたちに注がれたクリスマスの恵みを示されています。夜、いつものように羊の群れの番をしていた羊飼いたちは、クリスマスの夜、特別な御声を聞きました。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。」あの羊飼いたちが聞いた御声は、2006年のクリスマスを迎えております私たち一人一人にも同じ響き伝えられています。2000年経過してその力が、段々衰え、カビがはえて、その響きが響かないというのではないのです。いや益々その響きは確かなものになって聞こえ、私たちに呼びかけているのです。
 今夕も私たちはイブ礼拝を挙行いたします。クリスマスの出来事は夜と結びついています。皆さんの中にはクリスマスのイブの夜に、クリスマスのよきおとずれをみんなで味わうために、夜を徹して会員宅や病院を廻って讃美歌を歌った経験をお持ちの方々もいるかと思います。ここには、私たちが夜の闇の中に照り輝いた神さまの光に震え上がったり怖がったりするのではなく、照らし出されていることを共に喜び、それを伝えようという教会の伝統がながれています。
 その源をたどっていくと、あのクリスマスの夜登場した羊飼いたちが、何か特別で神秘的な経験をしたというのではなく、恐れを解かれて、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合い、羊飼いたちは何人いたかわかりませんが、羊飼いたちは、それでは行こう、行こうと一致して促されたのです。ここにクリスマスのニュースを聞く一人一人に、すでにクリスマスの出来事そのものの力が働いていることを知らされるのです。
 クリスマスの知らせは他の人々にではなく羊飼いたちに優先的に伝えられたと聖書は伝えています。ここに大きな意味が潜んでいます。当時のベツレヘムまたその周辺では大勢の人々が生活していたでありましょう。人口調査で普段とは少し違う人々の生活になっていたかもしれません。人数も増えていたでしょう。そういう人々全体の中で、羊飼いたちはユダヤ社会で人々の思いからすると決して中心的な人々ではありませんでした。地上の王の誕生であるならばならばもっと整った所、暖かい所で生まれ、そのニュースはもっと町の中心で公にされても良かったかもしれません。しかし、そうではないのです。たまたま折悪しくそうだったのではないのです。
 クリスマスの出来事の本当の意味と、このニュースが羊飼いたちに優先的に届けられたということは、大きな結びつきを持って私たちに語りかけられているのです。羊飼いたちの場面の少し前の所を見ますと、マリアとヨセフが産み月になってベツレヘムに赴かなければならず、皇帝の命令による人口調査のために郷里への移動を余儀なくされていました。そして、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶の中に寝かせた。そして以前の聖書には、「客間には彼らのいる余地がなかったからである。」と伝えられていました。このことはただ単に場所的なことを指しているのではなくて、主イエス・キリストがこの私たちの世界に来てくださり、大歓迎をして皆が受け入れるのではなく、それを喜ばない、歓迎しない、いやむしろはじき飛ばしてしまう力がこの地上に現実としてあるのです。そしてこの力は、2000年前だけのことではなくて、この地上にいつもはびこっている大きな力を表しています。
 しかし、彼らの泊まる場所がなかったというその場所は、人の思いに押しのけられての惨めな場所ではありませんでした。ここにこそ、神の地上の人間を徹底して憐れみ、愛し抜こうとしてくださったご決意が明らかにされたのです。この神様の貴いご決意に最も相応しい人々として優先的に羊飼いたちが招かれました。そしてその羊飼いたちからこの恵みがさらに周囲の人々に波及していくのです。ここにクリスマスの秘儀が表されています。クリスマスの恵みの伝播の力は、それを受け入れず、はじき飛ばしてしまう力にうち負かされることはありませんでした。
「光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった」
ヨハネ福音書1:5
 羊飼いたちが経験したクリスマスが今私たちの中にも新しく始まっています。